映画:冷たい熱帯魚

もう2週間くらい前になりますが、園子温監督作品『冷たい熱帯魚』を見てきました。

 この映画について何か書き留めておこうと思いますので、ネタバレするかもしれません。いやネタバレします。

 この監督の作品は、毎度感じるのですが、とことん骨太でときに不条理。なんともハードボイルドな映画でした。
 暴力描写も過激な場合があるので、受け付けない人もいるでしょう。実際にR−18です。(私が見た回では上映終了後の客出しで1名貧血になってぶっ倒れていました。繊細だなお方だなぁと思いました。そういえば中学2年生のとき「完全自殺マニュアル」を授業中に読んでいて、授業終了後の礼で立ち上がった瞬間、目眩がして前のめりでぶっ倒れた自分をふと思い出しました。そして全校集会で「完全自殺マニュアル」が禁止されました。余談)…話がずれました。
 しかし園子温映画の暴力はそれほどナマナマしくない。ブラックジョークな暴力というか…。「おはよう!元気が無いぞ?…ほら。いま先生、お前の腹を刺したぞ。どうだ?痛いか?…そうか痛いか!よし元気な証拠だ!!」みたいな。
 おそらく、暴力の前後に因果関係が無いのかなと。だから笑える。もちろん暴力を振るう側には何か筋があるのだろうけど、された側には全く理解出来ない。これが北野映画の暴力だったら、例えばヤクザなりのルールに基づいて暴力が振られるから、やる側もやられる側も筋は理解できる。観客としても、見ていて納得できる暴力だから、それはナマナマしい。
 こうしてブログに書き留めながら思ったのだが、『冷たい熱帯魚』は暴力に限らず人間同士の繋がりにそもそも因果関係が無い…何かチグハグな感じを受ける。登場人物の背景の描写が全くといっていい程無い。なぜこういう夫婦になったのか?この人の過去の仕事は…などと突っ込みどころを考えると全く説明出来ない。だがすんなりと登場人物を受け入れてしまう。おそらく現代においてのキャラクターとして、確立されているのだろう。「あぁ。こんな人いてもおかしくないなぁ。」と無意識に受けとめてしまう。だから、この映画内の家族関係の在り方や、夫婦関係、男と女の関係などが、記号として分かる。「このご時世ではここまで記号化出来るのかぁ」と改めて発見。
 主要な人物は6名。それぞれが特有な世界観(自分だけのルール)の中で生きていて、その世界観の押しつけ合いで物語は展開する。そしてお互いを結ぶ唯一のものが暴力。強い者のルールが暴力によって弱者にねじ込まれていく。言葉で分かり合おうなどと一切思っていない。そもそも「分かり合う」ことがはなからあり得ないことを知っているようだ。心の歩み寄り方が分からないから、暴力によって一気に結ばれようとする。
 一度だけ暴力が痛いモノだという吐露が出る。それは社長がボールペンでブっ刺されたときに「ちょっと痛い…。」と言った瞬間。思わず笑っちゃいました。暴力が挨拶の様に軽いツールになっていて、この台詞が出るまで「暴力=痛い」という事を観客の私もすっかり忘れていた。裏を返せば、初めて登場人物同士がナマナマしい会話をした瞬間だったなぁと振り返ることが出来る。この展開からもっと心の歩み寄りがあるのかと思ったら特に無い。そして一度はナマナマしく魅せた暴力も、再び乾いたものに戻っていく。特にラストで妻を刺した瞬間とか、あまりにもサラッとしていて凄まじかった。しかし最後の最後で、娘が父親の死体を蹴りまくるところは希望?なのだろうか。希望的な暴力。

 探ればもっといろいろな要素が出てきそうです。ん〜。こんなシナリオを私も書きたい。 

カテゴリー: 学問, 見た視た観たモノ記録 パーマリンク